関暁夫氏が唱える「月の時代」とは、物質や力の支配から精神や感性へと価値観がシフトする時代だとされます。
この月の時代は、従来の「太陽の時代」——つまり男性的なエネルギー(支配・拡大・論理・肉体的力)が支配していた時代とは大きく異なり、
といった、いわゆる“女性性”に重きが置かれる社会を意味しています。
かつて、社会の中で「男性」であることは“役割”でした。
しかし現代、テクノロジーと社会構造の大転換によって、こうした“筋力ベースの男性優位”が必要なくなってきていると感じます。
この流れの始まりは、18世紀に遡ります。
1769年、ジェームズ・ワットによって改良された蒸気機関は、それまで人間や馬の筋力に頼っていた労働を、機械の力で代替できる革命的な技術でした。
この流れは電力、自動車、ロボティクス、そしてAIにまで続き、今や力=価値 という図式は完全に崩れつつあるのです。
仕事は「思考力」「発想力」「共感力」が重視され、かつて“女性的”とされた能力が高く評価される時代に。
「もしかして男性って、もういらないんじゃないか?」
そんなふとした思いが、私の心に浮かんだのです。
科学の進歩は、「人間の性の必要性」すら問い始めています。
これらが進めば、もはや“男性という性”は、繁殖の観点でも必要なくなるのかもしれません。
確かに、筋力や生殖の役割としての“男性”は、文明の進歩で代替可能になってきました。
でも、男性性そのもの——例えば意志、直線的な力、守る力、孤独に立ち向かう強さ——は、依然として大切なエネルギーだと私は思います。
そしてそれは、性別という括りではなく、誰の中にもある“エネルギーのバランス”の話になっていくのかもしれません。
月の時代とは、
だと、私は感じています。
それは、男女という対立ではなく——
「陰と陽」
「感性と理性」
「受容と能動」
といったエネルギーの“統合”に向かう、より進化した人類社会へのステップではないでしょうか。
もしかすると未来の人間は、性別を持たない存在になるのかもしれません。
でもそれは、「男性がいらない」ということではなく、
誰もが“本質”としての人間性を取り戻す時代の到来なのではないか。
私は、そう感じています。